名古屋高等裁判所 昭和28年(う)423号 判決 1953年7月07日
控訴人 被告人 川村潔
弁護人 杉浦酉太郎
検察官 浜田善次郎
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人杉浦酉太郎の控訴趣意書を引用する。
その第一点について。
論旨の要旨は、被告人は、浅井英雄に商売資金として、二万円を交付したもので、選挙運動の報酬の趣旨は含まれていないのに、原判決は、採証の法則を誤り、事実を誤認して、右金二万円を選挙運動の報酬と認定したものであると謂うにある。よつてこの点に関し、原判決が証拠としたものは、被告人及び原審相被告人の原審公判廷における各供述、浅井英雄の検察官に対する第一乃至第三回供述調書謄本、被告人の検察官に対する第一、第二回供述調書であるが、被告人の供述調書については、原判決は、証拠の標目を掲記するに際し、供述調書謄本としたが、これは、原審相被告人浅井英雄の犯罪事実についての証拠にも引用するつもりで、且つ内容が同一なため記載したもので、これは、措辞妥当を欠くか又は誤記したものと認める。被告人及び浅井英雄は、原審公判廷で、原判示の金銭の趣旨を否認する外、その他の事実は認めて居り、被告人の検察官に対する第一、二回供述調書によれば、被告人は、候補者水谷昇と叔父甥の関係にあつて、水谷を当選せしめたく熱望していたものであり、浅井英雄は、被告人方に先代より出入して居るもので、この間の事情をよく知つて居るものであるが、昭和二十七年九月初頃、浅井は被告人に対し、水谷が立候補したら、自分が川島村の方の選挙運動をする旨話したところ、被告人は、よろしく頼むと言つて居り、同年九月五、六日頃、水谷が立候補したことが明らかとなるや、浅井は被告人に対し、水谷のため投票取りまとめのため、他の候補者と対抗上、金を使わねばならなくなつたら、その時は、金を出してくれと頼んでおいたところ、同年九月二十日頃、浅井が被告人方を訪ね、被告人に対し、「川島村で他の候補者も金をまいて居る様子だから自分も水谷派のために投票を集めるため費用を相当使つたし、又これからも費用がかかると思う、選挙の方に自分で立替えて相当使つたので、商売の問屋に払う資金が不足したから、是非二万円出してくれ」と頼んだので、被告人としては、選挙のことで叔父水谷のために働いてくれている浅井に損をかけるわけにも行かないし、他の候補者もやつているとすれば、それに対抗上、金で投票を集めることも仕方がないと考え、浅井の要求通り、二万円を渡したが、その時、被告人は、浅井が選挙運動に使つた分を差引いて残りがあればその分は、商売の資金に当て、その分だけは返してくるだろうが、二万円全部を投票買収費に使えば、返さないだろうと思つたが、二万円は、選挙運動の実費として渡したものでないことが十分に認められ、浅井英雄の検察官に対する供述調書謄本によれば、右と同趣旨のことが認められるのみならず、浅井は被告人からも、水谷のための選挙運動を頼まれ、同年九月二十日頃までに合計一万七千円位を投票取りまとめの費用として使用し、引き続き、費用もいるし、商売資金に不足も来たしたので、被告人に二万円出してもらつたことが認められる。以上の点を綜合するときは、被告人は、浅井英雄に対し、同人が水谷のため選挙運動を為したことに対する報酬として金二万円を供与した事実が十分に認められる。証人浅井英雄の証言を見るも、右認定事実を覆するに足らないのみならず、右二万円は浅井が投票の買収費として自分の金一万七千円位を使つたので、商売資金に不足を生じ、候補者水谷と特殊関係のある被告人にその旨を話し、受取つたものであることが認められるから、右金二万円は被告人が選挙運動と関係なく、浅井に渡したものであるとは、到底認められない。原審は採証法則に違反していることはなく、且つ事実誤認もない。論旨は、理由がない。
第二点について、
論旨は、原判決が公職選挙法第二百二十一条第一項第三号を適用したのは誤りで、同条第一項第一号を適用すべきであつたと謂い、選挙運動を為した報酬とするためには、投票日以後に供与されたものでなければならないと論ずるが、投票日以後において、選挙運動者に報酬を供与したときには、明らかに選挙運動をしたことの報酬として、同条第一項第三号に該当するけれども、選挙運動をしたことの報酬は、投票日以後の供与に限るものでなく、投票日以前においても、個々の選挙運動を為した尓後においての報酬についても、これに該当するものと解すべく、従つて本件においては、浅井英雄が選挙運動を為し、投票買収費として、一万七千円を使つた後に、これが報酬として、被告人が浅井に金二万円を供与したものであるから、尓後の報酬として、原判決が、同条第一項第三号を適用したのは正当である。仮りに、同条第一項第一号を適用すべきに拘らず、同条第一項第三号を適用しても、その法定刑に変りはないので、判決に影響することが明らかでないとも解することができる。論旨は理由がない。
同第三点について、
第一点について説明した通り、被告人は、浅井が水谷候補のため、昭和二十七年九月初頃から同月二十日頃までに、投票取りまとめの運動を為し、合計一万七千円位を使つたので、被告人がこれが補償をする意味で、二万円を出した事実も認められるので、被告人の行為は、浅井が選挙運動を為したことに対する報酬供与と認めることができる。原判決挙示の証拠によると、十分にこれを認め得るところで、その間に矛盾を認めない。被告人は浅井に二万円を渡したならば、浅井がその金を商売資金に充てるか又は更に選挙運動費用に費消するか或は一部を返すか、わからないと想像したことが、被告人の検察官供述調書に現れているが、二万円を供与した根本の趣旨は、浅井が水谷のため投票取りまとめ運動を為し、一万七千円を使つて、商売資金に不自由を来たすことを虞れ、これを返す趣旨で供与したものであるから、選挙運動をしたことの報酬と認定するのは正当であり、単純な貸借と見ることはできない。論旨は、理由がない。
よつて刑事訴訟法第三百九十六条により、本件控訴を棄却する。
(裁判長判事 高城運七 判事 柳沢節夫 判事 赤間鎮雄)
弁護人杉浦酉太郎の控訴趣意
第一原判決は採証を誤り、罪とならざる事実を有罪と認定したる違法がある。
原判決は「被告人潔は……選挙人である……浅井英雄に対し同人が水谷候補者の為に投票取纒の選挙運動をした事に対する報酬とする目的をもつて現金二万円を供与し」と本件の事実を認定したが右は採証を誤り事実の重大なる誤認をなしたものである。即ち被告人潔は本件は「……選挙運動をした事に対する報酬とする目的で渡したのではなく商売の資金に借してくれというので借したのである」(記録第16丁)と供述して居り、原審相被告人英雄も同様「商売の資金として借りたのである」と何れも公判廷に於いて供述して居り、右供述は以下詳述する如き事情に鑑みる時は真実なりと思われる。即ち(一)当時被告人潔は二十七歳の青年医師で、その前年迄東京の病院に学校卒業後引続き勤務して居り父死亡後帰郷し、選挙には勿論政治にも関心がなかつたこと(記録第118丁)。(二)原審相被告人英雄は被告人潔方に三十年位より出入し(記録第84丁)被告人潔の先代より引続き今日迄出入を許され永年の恩義のある間柄であること。(三)本件選挙運動は原審相被告人英雄が右の永年恩義に報いる為彼一存でなした(記録第80丁)こと而も自発的にその旨申出ていること(記録右同)。(四)従来も相被告人英雄は被告人潔より屡々商売上の資金を五千円、一万円、三万円、という風に借用し又被告人潔の母親よりも右同様商売の資金を借受けていた実情にある(記録第84丁)こと。等の事情を考え合せると原審相被告人英雄に於て永年の恩義に報ゆる為自発的に選挙運動をなしてその費用を一時立替えたとしても未だ選挙の期間中に立替金の返済の要求に行くことも恩義に報ゆるという点より見て常識に合せず、さればこそ「証人(英雄)が選挙運動の為に使つた金は後で川村が出すという話は別になく私としては後から川村さんが何とかしてくれるだろうと思つていた」(記録第81丁)訳であり、選挙が済んでから立替金の使途を明確にしてその返済を受けるということの妥当なる観方であることが首肯される。而してその間商売その他の事由で金に不足すれば従来通り借金をなし得る立場にあるのであるから、選挙の立替金は立替金、借金は借金と明かに区別して処理し得るのである。かくて原審相被告人英雄は昭和二十七年九月二十日選挙運動に関し彼一存で金の立替をなした為商売の資金に困つて被告人潔の許へ「商売の資金に困つたから二万円借してくれ」と申出てた訳である。検察官に対する供述調書にも「……選挙の方に自分で立替えて相当金を使つたので商売の問屋へ払う資金が不足した、それで是非二万円ばかり出して貰へんでしようかと申し」た記載もその意味である「……選挙の方に……使つたので」とは借金する理由であり、この理由は金を借りることが目的である以上選挙であろうと小供の病気であろうと大した意味を持たないと考える。若し夫れ「選挙の立替金の返済」が目的であれば重要なる意味を持つ理由となるが、そうであるなら双方の主従に近い間柄より考え選挙の金の使途に付、もつと具体的に誰にいくら、誰にいくらと報告すべきが当然なりと考えられる、かかることなき以上本件は問屋の支払資金の貸借とみるのが妥当なりと考える。さればこそ検察官の供述調書にもこの間の事情が隠見して窺われるのである。即ち「私の気持としては……恐らく浅井は選挙の為に同人が使つた分を差引いて残りがあれば其の分は商売の資金に使いその分は何れ私に返しに来る心算であつたのだと思いました」との記載にも明かなる如く「商売の資金に使い……返しに来る心算であつたと思つ」ているのでこれが選挙運動の報酬ならば仮令残つてもそれは返さるべきではなく当然やり切りなのである筈である。このこと自体矛盾であり、此の商売の資金が本件の真相であり検察官も無意識にこのことを根底に於て承認しているのではないかと思われる。この点は更に原審の相被告人浅井の第三回検察官供述の記載を見れば尚判然とする、即ち同調書の内容は本件二万円が選挙の為使つた分、立替金の返還の意味と尚投票日まで十日を余す期間中の費用を意味するなら、その使途は今迄の立替金の穴埋めに使用され残金は十日間の費用並骨折賃即ち報酬となる筋合なるに、この記載によれば内一万円は商売の支払い、内二千三百円は提出、内七千円は生活費、内七百円は選挙人岡崎寅吉に買収費として渡したとなつている、何たる矛盾か。この記載自体被告人等の商売の資金に借りたとの弁疎を何よりも雄弁に物語るものであり検察官も亦之を容認していたことが認められる。清盛の仏衣の下に隠見する鎧の如き観があり、明かにこの点採証の法則を誤り真相を誤認し罪とならざる事実を有罪と認定した違法があると考える。
第二原判決は法令の解釈を誤りたる違法がある。
原判決は「……投票取纒めの選挙運動をした事に対する報酬とする目的をもつて現金二万円を供与し」と事実を認定しているが本件は公職選挙法第二二一条一項三号の事後報酬ではなく同条同項一号の事前買収であると信ずる。同条同項三号は投票日以後は選挙人候補者ではなくなる為投票日以後の買収報酬その他の事犯を律する為特に設けられたのであり、投票日以前はすべて一号に該当すると考える検察官の供述調書にも「……自分も水谷派の為に票を集める費用を相当使つたし又これからも費用がかかると思う……」(第一回)(第二回)とあり十月一日迄尚選挙運動期間は十日余を余ましている、票を集める費用を使つた過去の事実とこれからも費用がかかると思う将来のことも含まれている、明かに三号でなくて一号である。
このこと自体は判決に影響を及ぼす重大なる法令の解釈の誤りではないがこの選挙法に対する誤解が第一に犯したる如き事実の誤認の基礎の如く思われる為茲に理由第二としてその違法なる所以を指摘するのである。殊に全記録を通覧するに本件がその末端に於いて所謂ブローカー達により選挙人に百円、百五十円と分配せられて居り、その末端より検挙せられた為当初より買収的計画ありたる如く誤解せられ、その先入観、予断を以つて取調べられた形跡が顕著である被告人潔の検察官に対する第一回供述調書中に「九月五、六日頃又浅井が私方へやつて来て今度水谷さんの票を纒めるに付ては他の候補者の側で金を使つてどしどし買収をする様子ならば水谷さんの方としても対抗上やらなくてはならないからその時は金を出して戴き度い」との記載があるが果して選挙の告示直後に他の候補者側に金にて買収する動きでも既にあつたのでなければかかる言動は出ない筈と考える、当時未だ立候補は全部出揃つて居なかつた事情にあつた、甚だ奇異の観があるが之の記載は本件が金銭買収として検挙せられたものであり、当初より金銭買収の謀議ありとの予断に基くものと思われるのである。更に又第一回と第二回の供述調書を対比するに第一回にあつては「残れば商売の資金に使い其の分は何れ私に返しに来る心算であつたのだと思う」との記載があり第二回には全くこの商売の資金は全く取上げず只漠然と「……其時浅井が前回申上げた様に私に対し川島村で他の候補者も金をまいて買収をして居る様だから自分も水谷候補の為に対抗上金をまいて相当使つてしまつた又これからも使うと思う」と金銭買収一色とし而も第三回に至つて二万円の使途につき選挙の費用にあらざる使途を供述録取し矛盾撞着をしているのである。この意味に於て明かに重大なる法令の適用の誤りがある。
第三原審判決はその理由に喰違いがある。既に述べたる如く原判決は「選挙運動をした事に対する報酬とする目的をもつて現金二万円を供与し」たと認定しその証拠として一、浅井英雄の検察官堤敬太郎に対する第一乃至第三回各供述調書謄本一、川村潔の検察官堤敬太郎に対する第一回及び第二回各供述調書謄本を採用しているが右証拠によれば「投票取纒めの選挙運動をした事に対する報酬のみならず……又これからも費用がかかると思う」(第一回)「又これからも費うと思う」(第二回)とあつて単に過去の選挙運動をした事のみならず、尚十日を余す十月一日迄の投票日までの将来の選挙運動の費用も本件二万円中に含まれることになる訳で現に九月二十九日三浦寅吉に対し金七百円を供与したのは如何なる関係に立つのか、この二万円とは別個なのかの疑問に逢着せざるを得ないとは謂わざるを得ぬ。明かにその理由に喰違いがある。更に又本件二万円は原判決によれば選挙運動をなした事に対する報酬とあるにも拘らず右浅井英雄の第三回供述調書の記載によれば右二万円の使途は僅かに岡崎寅吉に金七百円供与せられたのみで他は総て商売上の問屋の支払生活費等に費消せられている、右二万円が確に費消した選挙費用の立替金に穴埋めされていないことが窺われる。而も報酬との認定に拘らず「浅井は選挙の為に同人が使つた分を差引いて残りがあれば其分は商売の資金に使い其分は何れ私に返しに来る心算であつたのだと思う」と凡そ報酬の観念と矛盾した記載があり(第一回)更に又選挙運動をしたことに対する報酬であるに拘らず「……それで私は要求通り二万円浅井に渡しましたが其の金の費い方を別段指示した訳ではなく(報酬に費い方の指示はない筈恐らく事前買収費としての考えよりこの記載がなされたことと思われる)ただ私の気持では浅井が水谷候補の投票を纒める為に其の金を有権者に現金の侭投票を依頼して与えるとか又は何か品物に代えて与えるとか或は酒でも飲ませるとかするのに費うのだろうと思いながら渡した」と過去の運動報酬ではなく今後の選挙運動の費用として交付したこと歴然たる記載があり明かに右報酬の認定に矛盾反対の記載があり、その理由の喰違いは明瞭である。殊に「……尤も其の時から投票日まではまだ拾日位ありましたから浅井が二万円全部を投票の買収費として使つてしまえば私に返済する分はない訳で返しには来ないものと思つていました」(第一回)の記載は明かに将来未来の買収をこの二万円の内よりなすものであることを信じて交付している点より見ても単に過去の投票取纒の選挙運動をなしたことの報酬でないことは一層明かとなり、その理由の喰違いは一層明かである。